2017年06月17日

お預かりいたします…

お預かりいたします…

病院から父の遺体が戻った時には、すでに人が集まっていた。通夜を自宅で執り行うことを伝えると、部屋の片付けをしてくれる人。町内会に事務連絡してくれる人。座布団やカーペットを貸してくれる人。お茶を入れてくれる人… 誰からともなく体を動かしてくれた。そのうち訃報を聞きつけた人たちが着のみ着のままやってきた。喋ったことはないが、みんなどこかで見た顔だ。気がつけば父との思い出話になっていた。そこには妙な、にぎわいがあった。「生きるということは、死ねことも含んでいる」と誰かが言っていたが、はじめて腑に落ちたような気がした。まだ年の初めの余韻が残る寒い日の一コマだ。

人が死ねば、火葬までの遺体安置場所は、自宅だ。たしかに葬式を葬祭ホール等でやるケースはあるが、それでもいったんは故人が暮らした自宅に戻す。そして、せめて枕経、納棺までは… と。 しかし今、その当たり前が、変わろうとしている。都会では、居住空間に死を迎え入れることが難しくなってきている。高層マンションでは、管理組合の規約によって遺体を運び込めないところが多い。その前に、そもそも火葬場が足りないのだ。2015年の死亡数は、130万2000人(推計値)。この数字が今後25年間にわたって、右肩上がりに伸びていく。くわえて、葬式の簡素化が待機遺体の増加に拍車をかけているという。それが「直葬」だ。直葬は葬式をせずに、火葬してしまうこと。関東圏の全葬儀に占める直葬の割合は22%。直葬の場合、病院などからいきなり火葬場へ直行することは少ない。墓地埋葬法によって、死後24時間以内の火葬が禁止されているからだ。つまり、その間、どこかに遺体を保管しておく必要があるのだ。

そこで現れたのが、「遺体ホテル」だ。ひと言でいえば、死後、葬式や火葬をするまで遺体を安置しておく民間施設のことだ。事情があって自宅に保管できない遺体や火葬場の不足による待機遺体が次々に運ばれてくる。遺体の保管場所に困った遺族が、すがる気持ちでやってくるのだ。料金は1日(24時間)当たり9000円(税込み)。旅館業法上、ホテルとしての許認可は受けていない。遺族の宿泊に必要なベッドや水回りはなく、遺族がひと息つける場として、ラウンジがある程度。その需要は死亡数に比例している。

予想通り、遺体ホテルに近隣住民は反対している。「厳粛な人の死を、金儲けに使ってけしからん」「霊柩車が出入りするのは縁起でもない」「こういう施設が近所に存在すること自体、気持ち悪い」と。「縁起でもない。人の死なんて見ないに越したことはない… 」それが本音だ。

警察の隠語にホトケという言葉がある。亡くなった被害者をさす言葉だ。日本人は、昔から、死体を嫌い避けるのではなく、死体を何か生きている人と別な世界に属するものと分ける感覚を持っていた。しかし、その感覚が少しずつズレてきている。ある人はこう言う。「生きている間は、お医者さんや看護師さんは献身的に面倒を見てくれました。ですが、臨終を迎えた瞬間から、命をなくした物体のように扱われ、病院の裏側からさっさと運び出されてしまった」と。もしも、死ぬまでが生きるということだとしたら、きっと父は幸せ者だったに違いない。なぜなら、死んだ後もあんなに寄り添ってくれた人たちがいたのだから…

追伸

ジョン・ラスキン(ドイツ・小説家)曰く、

「死すべき時を知らざる人は、生くべき時を知らず」

「生くべき時」とは、「生き方」ということ。つまり、毎日の価値を知らない人は、生き方がわからず人生をのうのうと生きてしまうと。生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。「毎日自分に言い聞かせなさい。今日が人生最後の日だと」そう言ったのは、古代ローマの詩人、ホラティウス。今、できることは、今、やること。たとえば、えり足。えり足を整えるだけで、あなたの第1印象が良くなります。品が良くなります。結果、それだけで人生が変わるかもしれません。しかも、それがカット1000円のサクラなら毎月カットができます。今、できることは、今、スグに!


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Posted by 小林史人 at 10:00│Comments(0)人生いろいろ
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