2018年12月01日

危うさという魅力

危うさという魅力

「1度会社に持ち帰って上司と相談します」なんて口が裂けても言ってはいけない。それは勇気を出して告白してくれた女性に「1度家に帰ってお母さんと相談します」と言うようなものだ。「お前はどれだけの覚悟を持っているのか?」ただただ人はそれだけを見ている。サラリーマンであっても、会社の看板ではなく個人として生きているかが問われる時代。生き方と働き方は一致しているか? 覚悟と信用は比例する。まずは、自分の名前に意味をつけることだ。やがて、それがブランドになる…

ブランド作りの名人がいる。プロスポーツ選手・ミュージシャン・お笑い芸人。その共通点をビートたけしはこう言う。「それは「危うさ」だよ。いつまでも安定しないどころか、この人、ふっと明日にはいなくなってしまうんじゃないかと思われるヤツは強いよ。お客から見て、「こいつは危ない」という感じが、芸人のいちばんいいスタイルだと思うね。動物園で人気があるのも、やっぱり猛獣だろ。ライオンだってヒョウだって、野放しだったら飛びかかってくるかもしれないけど、檻があるなら近くで見てみたい。カネ払って牛とか馬みたいな家畜を見たってしょうがないもの」

1972年。奇しくも2つのプロレス団体が同時に旗揚げした。新日本プロレスと全日本プロレス。アントニオ猪木とジャイアント馬場。砂時計の法則に従ったのは、猪木だった。やりたいことがたくさんあっても、まずは絞り込んで、定めた世界で1番になる。その戦略はまさに企業の生き残り戦略だった。アメリカのメジャー団体からの協力を得られなかった猪木は、まず格下のローカルなNWF世界ヘビー級王座を奪取した。次にそのベルトの価値を上げていく。技の上手いルーテーズ・ビルロビンソンといった大物外国人レスラーと防衛戦を行い、正統派のストロングスタイルを展開。試合内容で勝負した。また、ストロング小林・大木金太郎など他団体がやらなかった日本人対決を実現させ観客の話題を誘った。教組には信者が必要なように、ブランドにはリピーターが必要だ。1回の売上ではなく一生での売上を考えることだ。そのためには物語を語らなければいけない。物語はタダで貰ってもいらない土産を数万円で売ることができる。今、どの業界でも物語を語れる編集者の能力が必要とされている。猪木の描いた物語(2つの事件)のキーマンに選ばれたのは、当時、無名のタイガージェット・シンというレスラーだった。新日本プロレスは一計を案じる。シン側に猪木のスケジュールを密告したのだ。そしてあの新宿伊勢丹前襲撃事件が起こる。1973年11月5日。シンの白昼堂々の襲撃に猪木は流血し、新聞には「狂った外国人による猪木襲撃」として1面で報道された。一夜にしてシンの知名度は上がった。リング上で死闘を繰り返しながら迎えた1974年6月26日大阪府立体育館。ついに猪木が報復に出た。腕折り事件。喧嘩ファイトでシンの腕を折ったのだ。シンとの長きにわたる抗争でストロングスタイルの猪木に「危うさ」という新たな魅力が加わった。連続27回を含む40回以上の防衛。こうしてNWFのベルトは猪木の代名詞となった。馬場はNWAのチャンピオンになることで猪木との違いを見せ、業界1位のポジションを守ろうとした。猪木はプロレスの枠を超えた「対世間」を意識していた。キング・オブ・スポーツ。その象徴がモハメド・アリとの異種格闘技戦とIWGPヘビー級王座の創出だった。作家・村松友視は「プロレス内プロレスと過激なプロレスと」という言葉で2人を表現した。猪木は常に自分が勝てるポジションを考え、選び、戦った。猪木は誰の真似もしなかった。やがてそれは個性となり、独自性となり、価値となった。そして、人はそこに共感した。挑戦する勇気、屈しな強い心に共感した。強いだけではブランドにはなれない…

共感は、人をお客からファンに変える。「勝手にシンドバット」の発売日となった1978年6月25日。日曜日。湘南の天気は、曇りのち雨だった… 早口言葉のような歌詞。おまけにわけのわからない文脈。決して響いたことのない16ビートや不思議なコード進行。桑田佳祐は日本語のロックを英語に近づけて発音する歌い方を完成させた最初のアーティストだった。サザンオールスターズは1980年代、1990年代、2000年代、2010年代という4つの年代で、ヒットチャート1位を獲得している。キーワードは、不易流行。単に「不易」なだけでは飽きられる。逆に、「流行」に乗っているだけでは定着しない。「茅ヶ崎」「湘南」「江ノ島」という固有名詞。「波」「夏」「涙」という一般名詞。サザンオールスターズには不変のテーマがある。「勝手にシンドバッド」というタイトルは、当時のヒット曲、沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディの「渚のシンドバッド」を足して2で割ったものであり、コンピュータを駆使した音作りが流行ればそれを取り入れ、ラップが流行ればそれを取り入れる。時代の先端をゆくアレンジで、常に人をお客からファンに変えてきた。激しい競争環境の中で定番の地位を維持するためには、「不易」と「流行」の両方が必要だ。売れる曲は直感や感性だけでは創り続けられない。

洋楽的な素養を持ちながら、ちゃんと日本人が理解できる歌謡曲を作る。決して大衆から離れず、ブレがない。「希望の轍」を創った人が、「マンピーのG★SPOT」を普通に歌う。今もラジオで下ネタを言い、コミックソングのような曲も歌う。実力もあり親しみもある。あるが、それだけではない。2014年大晦日の紅白歌合戦。サザンオールスターズが歌った曲は、発売直後から「歌詞に政治色が強い」と一部から批判も出ていた「ピースとハイライト」だった。それはジョン・レノンの「イマジン」を彷彿させる日本では珍しい平和へのメッセージソングだった。サザンオールスターズ。そして桑田佳祐には、「危うさ」がある…

京都で開催された和牛の品評会。最優秀賞を受賞したのは「静岡和牛」だった。しかし、直後に開かれたセリで最高価格をつけたのは「松坂牛」だった。松坂牛は単なる牛の名前ではない。強いブランドには、名前も品質も超える何かがある。「らしさ」があり、「イメージ」があり、「意味」がある。子供は公園のどこで遊ぶか? それはジャングルジムでも砂場でもない。子供は公園の中で遊ぶ「一番楽しそうなグループ」を探してその輪に加わろうとすることが研究で明らかになっている。子供は向日葵のようにいつも太陽を見ている。サザンオールスターズはいつの時代も太陽だった。そして、そこにはファンがいた… サザンオールスターズが初めて世に出てきた時、多くの人が一発屋だと思っていた。が、3枚目に発売した「いとしのエリー」で、それが間違いだと誰もが気づかされることになる。桑田佳祐は売れる曲を創ってみせたのだ…

売れるために、否、売れ続けるためには何が必要なのか。あの島田紳助はこう解説している。「何をやってる時に自分が一番能力を発揮できるのか? これがX。時代(市場)は今どこに向かってるのか? これがY。X+Yで自分がどういう形のものを創るかを考えること。売れ続けるヤツは、みんな自分を世の中に合わせてんのよ」と。一発屋は、なぜ自分が売れたかがわからない。たまたま前から同じことをやってきて、たまたま時代が変化した。それは出会い頭の衝突事故と同じだ。だから、一発屋のほうがインパクトがある。インパクトがあるから、ボーンと売れる。でも、2,3年したら必ずズレる。そうなればもう自分では修正が効かない。阿蘇山は、高さでは日本の山ベスト100にも入らない。が、カルデラ火山というカテゴリーでは圧倒的な1番になった。結果、日本人が好きな山では、富士山についで2位だ。島田紳助も勝てない現場には行かなかった。自分が面白いと思う、自分の感覚にいちばん近い漫才師をビデオで撮る。それを紙に書く。1回1回止めて全部紙に書く。そして寝る前に「どこが違うか」を考える。そうすると見えてくるものがあるという。べテラン漫才師は、1分間に20回もの「間」があった。あったがその技術の習得には10年、20年かかる。だからこの回数を減らし8回にして失敗する確率を減らした。技術的には下手くそな漫才。が、お客にはわからない。目的達成のために必要なことだけをやる。目的は「売れること」であって、「一流の漫才師になること」ではない。同期のオール阪神巨人は正当漫才だから無理。さんまはスター性があるからその路線も無理。だからスーツではなく、つなぎを着て劇場に出た。京都の不良少年だった自身の経験を活し悪役路線で行くこと決めた。時代の漫才はこれから細分化されていく。だから自分と感覚がいちばん近い人を笑わすのがいちばん簡単な20~35歳の男性をターゲットにした。島田紳助にも「危うさ」がある。後にダウンタウンが登場すると、ためらいもなく漫才からMCにポジションを変えた。そして今、その姿を見ることはない。

どんなに上手くやっている人でも、すべては線でつながっている。そこには努力がある。サイクロン掃除機を開発したダイソンの創業者ジャームス・ダイソン。ダイソンは5年の歳月と5000台の試作品を経て、世界でも類を見ない掃除機の技術を生み出した。確かに、仕事にも運やツキが存在する。存在するが、それが長く続くことはない。長くやっていれば運の要素は限りなく平等だ。結局、運とは関係のない努力で磨いた自力の部分で差がつく。その努力は売れるための努力でなければならない。体操選手の体は鍛えてある。あるが、野球のボールを投げることはできない。なぜなら、体操をするための筋力しかついていないからだ。努力もそれと同じだ。この世に実力のある人は掃いて捨てるほどいる。リスクをリスクと思わないことだ。仕事では、信号機と順番は無視することだ。脱平均。脱常識。実力よりも評判。売上より伝説。他力本願で時代センスのない人は生き残れない。行動する人にとって今ほどチャンスの時代はない。失敗こそ最高のブランドだ。

そう言えばだ誰かが言っていた。「飲み会でいつも損をする人は正気な人と決まっている。後片付けをしたり、会計をしたり、人を送ったり。この世は酔いがさめた人間、まともになった人間から脱落していく愉快なゲームだ」と。

(参考文献)
「小さな会社を強くする ブランドづくりの教科書」
フランク・パートノイ (著) 上原 裕美子 (翻訳)

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Posted by 小林史人 at 00:01│Comments(0)人生いろいろ
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