2014年05月06日

教養人・内田百閒 2



借金生活。息子の死。妻との別居。大酒飲み。大美食家。列車マニア。猫や小鳥の道楽。人や世のため、正義感やイデオロギーのため・・・ 否、ただ自分の書きたかったことを、そのまま書いた内田百閒。社会人、知識人よりも教養人だった内田百閒。そんな一文がこちら。「身になると云う事は忘れないと云う事ではなくて、覚えた事を忘れる、その忘れた後に、身になる、身についたと云う大切なものが残る。忘れた後から、学問の本筋は始まるのではないかと自分は思う。(中略)忘れたと云う事と、もとから知らなかったと云う事とは大変な違いだと云う事は今申した通りです。学問をして色色な知識を吸収する。しかし、随分勉強したけれども、次から次へと忘れるから詰まらない。自分は頭が鈍くて、普通の記憶力がないのか知らなどと云う風に考える必要はないのです」(百鬼園先生言行録より)つまり、学ぶのに、すぐに役に立つ、結果が出るなどと考えるのはすでに堕落の第一歩だと。ちなみに黒澤明監督の「まあだだよ」は内田百閒を描いた映画です。  

Posted by 小林史人 at 20:00Comments(0)