2012年10月17日

「いしぶみ」をご存知ですか?



その昔、人がまだ文字を知らなかった頃。遙か彼方にいる恋人へ思いを届けるため、石が使われていたとか。女は、自身の気持ちにいちばん近い形の石を取り、旅人にことづける。男は目を閉じ、その石をそっと掌に包み込む。尖った石ならば、病気か、気持ちが落ち込んでいるのかと心を病み、丸いすべすべした石ならば、息災だなと安心した。

手紙のはじまり。それは「いしぶみ」と呼ばれていました。

あなたの「思い」は何ですか・・・

手紙の書き方なら後からでも学べます。字が下手ならペン講座や習字の先生がいます。ワープロだってあります。でも、その時感じた「思い」はその時にしかわかりません。心が感じて動く。あなたの「思い」は他人の「思い」と同じですか。

「思い」がうまく言葉にならない人へ。

向田邦子さんの「恋文」に寄せたエッセイをご紹介します。

東京空襲が激しくなり、小学校に入ったばかりの末の妹も、自分の名前を書いた雑炊用のどんぶりを手に学童疎開した。買い出しで手いっぱいだったのだろう、両親は妹に字を教える閑がなかった。自分の名前がやっと、という妹のために、父は暗幕をおろした暗い電灯の下で、びっくりするほどの沢山の葉書に、自分宛の宛名だけを書いていた。出発の前の晩。父は葉書の束を妹の小さなリュックサックに入れながら、「元気な時は大きい〇を書いて、一日一通ずつ出すように」と言って聞かせた。四、五日して一通目が届いた。葉書からはみ出すほどの大きな〇が、赤エンピツで書いてある。きっと、遠足にでも行った気分だったにちがいない。ところが、次の日から〇は急激に小さくなってきた。夕方、父が勤めから帰ると、荷物をほうり出すように茶の間に駆け込む。食卓に、妹からの葉書が載っている。うすい鉛筆の、勢いの悪い小さなマルを、父はなにも言わずに見ていた。〇はやがて、×になり、その×の葉書も来なくなった。妹は百日咳で寝込んでしまったのである。別の子どものようにやせ細った妹が帰ってきた時、茶の間に座っていた父は裸足で門へ飛び出し、妹を抱えこうようにして号泣した。私は大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。

父にとっての「思い」は、〇でした。末の妹が書いた〇でした。それは、体の元気であり心の元気を伝える〇でした。

あなたの「思い」は何ですか・・・

  

Posted by 小林史人 at 02:00Comments(0)